2008年05月:
母の23回忌で久しぶりの帰郷でした お坊さんの説教が、今の自分の感覚とあっているなと感じました。
人によって考え方は違うのでしょうが
お経は「死者の為にある」と思っていたのですがそうでは無いと..
「千の風になって」と言う名曲もそうなんですね
「死者が生きてる者を励ます歌」なのですね、凄い歌です
「無我の境地」とはどういうことなのか
「無我の境地に至る」とは..
自分の身の回りから総てのものを取り去ったら、
生きていく事が出来ない事に気が付くのが「無我の境地に至る」と言う事なんだそうです
確かに..水も空気も食べ物も無いところでは生きてはいけないですよね
それらのものがあったところで、一人では生きて行けないのが人間
自分がこの時間に生きているのは、先祖があり、父母があり、兄弟があり
沢山の友があり、一人の人間が生きていくには想像も出来ない程、沢山の生き物に助けられている
その事に気が付く事だと教えられました。
鮎つりで「無我の境地」があるとすれば
釣りたい、釣ろうという気持ちだけでは釣れないと言う事か?
「鮎になれ」という名言を聞いた事があるけど、悟ってたんだろうねその人は..

5月3.4.5日と兄貴の家で、お殿さま生活でした、兄嫁、甥や姪が実に良くしてくれて有り難かったです
兄嫁が手作りの「帯広豚丼」を出してくれました、やや苦味のある味に、兄がとってきたシジミの味噌汁
秘密の場所なんだそうで、僕は小指の先ほどのシジミしか知らなかったのですが..10円玉程の大きさでした
最初に見つけた時には500円玉ほどの大きさがあったらしいのですが
年々、小さくなっていってるようです
ギョウジャニンニク、ウド、ワサビダイコン、懐かしい味のオンパレードでした
毛ガニ、タラバ、花咲カニ、ホッケにシャケ、ウニにイクラ..腹一杯で..食い残したのを今頃後悔しています
腹一杯で食えなくても、食っておくのだった(^^)

それにしても北海道の国道は走りやすかった、深夜であったこともあるが
苫小牧から帯広迄150kmの距離を走るのに信号で止まったのは5回も無かったような
高速じゃないのに途中で休憩を入れて3時間も掛からないで定速で走れる快適な国道でした、フェリーで知り合った人など..
それだったら2時間で行けるよなんて言ってましたが..
僕は最近、プロのドライバーとしてのプライドをもつようになったので無茶な運転はしません。
本当は加齢のせいで夜道は特に目が..見えにくいのです(^^;)
おらおら、トロトロ走ってるんじゃないよーと、思われたかどうか?
途中で相当数の車に追い抜かれました(^^)、それでも3時間は掛からない、ゆっくり走ろう北海道!。


2007年04月:
幸せと言うのは、自分では実感できないもので、僕の場合は
どちらかと言うと、そんな事は考えた事も無いし
成るように成って今が有る訳だから..成るようにしか成らないと言う事で
今日も仕事先で「あんたは本当に幸せだなぁあ」と、しみじみと言われました
僕のお得意さんは、大会社はないのです、小企業がほとんどです
だもので、僕の趣味やら家の事やら友達の事やらくちゃべる事が多いのです
どうして? と聞くと、「わしゃ本当にそう思うわ」と旋盤を操作して45年
工場一筋の60才を超えた人からそう言われました、「あんた悩みなんてないやろ」
と続けて言われたので、そんな事はないですよ(ー0ー;)
「一歩外に出れば仕事の悩み」「家に帰れば家庭の悩み」「鮎釣りにいけば鮎釣の悩み」...
そこで、大爆笑です(^^)
鮎釣りの季節は別なのです、諦めて貰っているのです
シーズンになって、平日に携帯が繋がらない時は僕は鮎釣りに行っている事は明白なのです
釣りに行く時は携帯の電源は切ってしまっているのです、しょうがないなぁあ..で
許して貰えるのです、まあこれは幸せと言えば幸せなのかも、普通だったら次ぎから仕事貰えないよね
それが年に数回はあるんだから、幸せ者なのかも? だけど..
友達の言葉を借りていうなら 「僕達はまだ旅の途中」 なんだよね..
終着駅はどこなのか、誰にも分からない、だから幸せ者と言われてもねぇえ
亡くなった方で、なんの苦しみもなく静かに眠るように逝ったと言う人の話しを聞くと
その人は幸せな人生だったと思うわけで、それ以上の幸せって..あるかな?
魚を虐め続けた人の末路は決まっています
小便垂れ流しの、うんこ垂れ流しの、臭い、臭いと言われて死んでいくのです
どちらにしても、成るようにしか成らないのです。
仕事を休んで鮎釣りに行けるから幸せだなんて僕は決して思わない
身体の総ての機能が正常に動いて、食事が美味しくて、良く眠れる
そんな、日常のなんでも無い所に幸せがあると僕は思う。


2004年08月:
なぜ鮎釣りをするのか?
なぜなんでしょうか、時々この言葉を思い出しては
自分の気持ちをなんらかの言葉にしたいと思うのですが・・
今年の鮎解禁日の頃、知り合いの人にもうすぐ鮎釣りが始まりますねと言われました
僕は最近鮎釣りしても感動が薄れているような気がしてますと言うと
「だめですよ、初めの感動を忘れては」といわれてドキッとしました
鮎釣りを始めて数年は初めての囮に鼻環を通す時など手がブルブルと
震えたものですし、大きな鮎が掛かって取り込んだ時など
膝がガクガクしたものですが最近はそんな事がまったくありません
でも、良い鮎がいっきに竿先を絞り込んだときなど
心臓がバクバクします
「感激とか感動とか」忘れてはいけないのですよね
なんでも当たり前になるといけないのです
そうです、初心(感動)を忘れてはいけないのです。

2004年04月:
レンタルサーバーの支払いが高いなぁ〜と感じるようになったので
また、新しい所で安くて良い所を見つけました
サーバーの移管なので、URLの変更無し
変なメールは受信前に即抹消出来るし
変な添付メールも無料でチェックしてくれるし
これで1,500円はお得な気分です
今年は月に一回は余分に川に行けるかもね

2003年05月:
家で今年の鮎釣りの準備をしていた時の短い会話・・
あと何年位鮎釣りにいけるかな〜、と、僕が言うと
お父さんから鮎釣り取ったら何もないもんね!、と、家族が・・
そうか? 何も無いか?
ないな・・ないない、何も無い!

2003年01月:
今年になって、思い立って新規レンタルサーバーにHPを移動しました
別に前のままでも支障はなかったのですが
今のサーバーの方がより自由度が高いのです
相互リンクして頂いてる他のサイトにURLの変更のお願いをしたのですが
あるサイトの管理人から数分程でリンク修正の報告を受けものすごく感動しました
これは自分では決して、そんなに早くやらない事の気持ちの裏返しなのかも
だから、感動してしまうのかも

2002年12月:
あまり親しくはないある知り合いにこう聞かれました『なぜ鮎釣りをするのですか?』
僕は瞬時にいろんな事が頭を駆け巡り、その答えに戸惑いました
こんな調子で自分の趣味を問われた事がなかったのと
鮎釣りを知らない人にこの楽しさをどう表現したら良いのやら・・・
結局、『鮎釣りをしてみたら分かるよ』と答えていました。